「朝食からはじめる」特集として、Podcast・ラジオ「#ただいま発酵中」でパーソナリティを務めるいっしーさんにエッセイを執筆していただきました。
朝食は夜を越えて
お腹が空いて目覚める朝はすばらしい。子どもの頃はだいたい毎日がそうだった気もするけど、大人になるとそうもいかない。前日の夕食は早めに済ませ、深酒などはもちろんせず、夜更かしにも気をつけ、なんの心配も悩みごともなくぐっすりたっぷりと寝た翌日にしかその朝はやってこない。少なくとも、自分の場合は。これだけでも十分難しいのだが、欲を言うと、アラームに急かされて起きるのではなく、できれば予定のない日に自然と目覚めるのがいい。つまりそんな朝は滅多にない。滅多にないからこそ、いくつかの偶然が重なって目の前に現れたそのひとときがひときわ輝く。
僕が自炊を始めたのは「家で一人で過ごすにはあまりに夜が長すぎる」と感じたことがきっかけだ。とにかく仕事をして、それ以外は人と会って遊んで……を繰り返していた20代を経て、生活バランスを健康的に整えようと意識しだしたのが30代の前半。早い時間に家に帰ってくるようになったのはいいが、その時間の使い方が難しかった。新たな趣味を探してみてもなかなか見つかるものではないし、毎日でもできることなんて一握り。かと言ってのんべんだらりと過ごしていては、どうにも虚しさがつきまとう。そこで試してみたのが料理だった。料理なら毎日取り組むことができるし、初めの頃は手際も悪かったので買い出しから食器の片付けまでまあまあな時間を掛けていた。気づけば寝る時間も近づき、お腹もいっぱい。料理をしている間は工程に没頭できたし、自分のみの力でご飯がちゃんとおいしくなる体験は純粋に嬉しかった。
そんなわけで、僕の料理はあくまでも夜の時間を過ごすためのものであり、当初朝食についてほとんど気にかけることはなかった。お腹が空きそうなら仕事に行く道中コンビニでなにか買えばいいし、食べないなら食べないで昼まで我慢できる。しかし、夜の料理がだんだんと習慣化するなかで、ある程度の食材と調味料が常備され、いちおうの調理スキルを得ることとなる。その状態で空腹の朝を何度か迎えた結果、朝ごはんも自然とつくるようになっていった。初めは「使いたかった食材も消費できるしちょうどいい」ぐらいにしか思っていなかった朝ごはんだったが、いつの間にか日々の暮らしの楽しみとなった。
朝ごはんの美点はまずなんと言っても簡易なところだろう。あたためたごはん、わかめと長ネギのお味噌汁、好みの固さの目玉焼き。あるいは焼き目のつけたトーストとバター、きれいにできたスクランブルエッグ、昨晩つくったスープの残り。ささやかだがお腹が空いて食べるそれらは格段においしい。ぽっかり空いた胃に優しく染み込み、すぐにエネルギーになってくれる。たとえ同じものを食べたとしても、不思議と昼や夜には感じられない朝だけの味わい。
簡単なもので十分おいしいということはちょっとした変化や手間でご馳走になるということだ。朝ごはんにたくさんのバリエーションは要らない。堅固なベーシックがあるからこそ、たまの特別が嬉しい。
例えばごはんのお供。魚のほぐし身などは言わずもがな極上だけど、先日知人から頂いたのをきっかけに心を射抜かれたのが「木の芽の佃煮」だった。控えめで上品な甘辛さとほんの少しの苦味。それらを山椒の香りがつつみ込み白米に多層の味を連れてきてくれる。調理+0分。どこにでも売ってるわけではないのが難点といえば難点だが、冷蔵庫にあるときは常に神々しいオーラを放っている。例えばオープンサンド。アボカドを切ってレモン汁と塩、胡椒と一緒に潰すように混ぜる。パンにオリーブオイルを回しかけ、そこに混ぜ合わせたアボカドとナッツを乗せて完成。調理+5分。おいしすぎる。アボカドを味の濃いトマトに変え、にんにくを加えればパンコントマテという名のスペインの家庭料理に変身する。
簡単でかつ変幻自在。たくさんつくらなくても、気張らなくてもいい。だから朝食はおいしい、楽しい。我ながら単純すぎるとは思うけど、心ゆくまで楽しんだところで誰に迷惑を掛けるわけではないし、シンプルに幸福感を味わうことのできる営みだ。積極的に迎える朝食の時間はもはやレジャーのようでさえある。お腹が空いている朝は特に。
先日、とある食品宅配会社の人と話していて「率直に30代男性の意見を聞きたいのですが、ふだんどういう気持ちで料理をされていますか?」と聞かれたのでキッチンに立つ自分を思い返しながら「『こりゃあおいしくなりそうだな……』と思って料理してます」と伝えると、ちょっとの間呆気にとられたように黙って、その後笑ってくれた。「料理の負担を軽くすることも大事だけど、楽しんで料理をする人を増やすことも大事ですね」とも言っていた。
僕の料理の楽しみは朝に詰まっている。健やかな空腹を愛でながら、朝食のメニューと1日の過ごし方を考えるあの時間。「さあ、今日はなにを食べよう、どこへ行こう。あたらしい朝の、あたらしい食事!」という気持ちで冷蔵庫を開ける、あの瞬間。退屈な夜を越えて、朝ごはんは僕の手元にやってきた。これからも幾度となく続く朝に、おいしい朝食を、何度でも。
撮影・執筆:石崎 嵩人(いっしー)
写真は「ほうれん草と落とし卵の味噌汁」。
石崎嵩人
Backpackers' Japan常勤役員。ゲストハウスtoco.、Nui. HOSTEL & BAR LOUNGE、Len京都河原町、CITANなど、東京と京都でゲストハウスやホステルの企画・運営をしています。ラジオ「#ただいま発酵中」のパーソナリティ。
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