#06 新著『オッス!食国(おすくに)』の先行予約お願いします!

発酵デパートメントオーナー小倉ヒラクが、各地の旅で出会った発酵文化や、お店の運営で考えたことをお届けします。長文だったり一言だったり、日記形式で気軽に書いてます。

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 みなさん、発酵してますか?

今回は僕の新著『オッス!食国』の予約キャンペーンのお知らせです。

発酵デパートメントの友の会会員の皆さまにはご迷惑をおかけしています。
ほんとは去年の春に出るはずだった新著『オッス!食国』。幾多の困難を乗り越え、ようやく印刷フェーズに入り正式に出版日が決まりました!あわせてVALUE BOOKSの予約キャンペーンも絶賛開催中。

特典いっぱいの先行予約の締め切りは、
7/9日曜の23:59までです。なにとぞよろしくおねがいします…!

☆☆☆予約はこちらから☆☆☆

先行予約してくれた方には、特典あるよ!

今回は企画をご一緒しているVALUE BOOKSさんのご厚意により、単なる事前予約にとどまらない、発酵食品が付いてくるという狂気すら感じるキャンペーンとなっております。

■味噌や納豆がついてくる
新著に合わせてつくったオリジナル酢味噌 or 発酵デパートメントオリジナルのアウトドア納豆がついてきます。もちろんお代は書籍ぶんのみ!ちょっと太っ腹すぎじゃない…?

■書店発売よりはやく読める
書店の発売日が7/20以降、先行予約は7/15前後に発送するので数日はやく読めます。

そして。最後にちょっとみんなに相談です。

■過去最高予約数で、幻のあとがき原稿
今回の先行予約キャンペーンで予定しているのは、885冊(はやく発行/醸)。過去の『発酵文化人類学』は約500冊、『日本発酵紀行』は800冊弱。つまり今回用意した冊数が売り切れ御免!になったら、新記録達成です。そしたらめっっっちゃ嬉しいので、さらなる特典として

・ページ数の都合により入り切らなかった幻のあとがき原稿

を小冊子にして付けようかなと思います。個人的にはめちゃ良い内容だと思うんだけど、本文の流れに直接関係ないので泣く泣くカットした…ここで供養したい!

現在の予約数は400冊弱(2023年6/27時点)です。
皆さまの力で、スペシャルエディションを完成させたい!どうぞご協力よろしくおねがいします。

☆☆☆予約はこちらから☆☆☆

 

序文を一部公開します

どんな本なのかしら…?という人に、『オッス! 食国』の序文の一部を公開。
これを読んでもらうだけで、「これは、本当に日本の食をディープに掘っていく本なんだ」と実感いただけるはず。

      

序章:百味の飲食、海川山野の味なもの

 奈良の夏の夕暮れ。セミがさんさんと鳴いている。社の裏には鬱蒼とした森。繁った葉の隙間から、西日が糸のように垂れている。社の裏手から森につながる細い道を、お盆を目線より高くにうやうやしく持った巫女がしずかに歩いていく。お盆の上には、米や魚、塩などの食物が盛られている。これは、朝と夕の二度、神に捧げる食事。雨の日も風の日も、戦争や天変地異のなかでもたゆまず受け継がれてきた供物の文化。森から山へ、山から天へと彼方に住まう神に美味しい食事を届ける。
千年以上前から続く、神饌の光景だ。

 やすみしし わご大君の 食国は
 倭も此処も 同じとぞ思ふ

 万葉集の六巻に、大伴旅人が詠んだこんな歌がある。九州の太宰府に駐在していた旅人が「奈良の都を恋しく思うか」と部下に聞かれて「同じ天皇の統べる国なのだから、奈良もここも同じだよ」と返した歌だ。都落ちした寂しさをこらえる郷愁を感じる一首のなかの、「食国」という聞き慣れない言葉が印象的だ。

 食国(おすくに)とは、召し上がりなされる物を作る国、という事である。後の、治(おさ)める国という考えも、此処から出ている。

 民俗学者の折口信夫の論考『大嘗祭の本義』で論じるところによると、万葉集が編まれた時代において「食国」は日本そのものを指す言葉だった。日本を統べる天皇の仕事は、田畑を司り食物を生成させること。秋に田畑から収穫された食物を調理した神饌を神に捧げることが、国の大事なまつりごと(祭/政)だったという。古代の日本では、神は「食物の生成される場」を象徴する存在。そして神の治める日本列島に住む共同体のメンバーの大事な仕事は、生成された食物をうまく収穫・加工することだった。神と民の、食をめぐるコール・アンド・レスポンスこそが「国をお(食/治)す」ことである、食をめぐる生成と循環が、すなわち世界の生成と循環を司っている。

 食すことは、治すことなのだ。

食べることを巡る三つのレイヤー

 折口信夫がイメージした「食国」の世界観に、僕は日本に生きる人々への食への異常なまでの愛着の原風景を見る。日々テレビや雑誌、WEBのレシピサイトで「美味しいものはないかしら?」とチェックする情熱の奥底には「美味しい」を越えた何かがある。その「何か」とは?を考えていくと、第一に思い当たるのは、食べることが身体を維持するための「生物的な行為」である、ということだ。第二に、食卓を介して家族や友人たちとのコミュニケーションを取る「社会的な行為」とも定義できる。料理家の城戸崎愛の言う「食べることは生きること」という言葉は、食こそが人間を社会的な動物たらしめている、という主張である。ここまでは食に関心のある人ならばすんなり理解できるだろう。
 さて、ここからが本書のテーマだ。折口信夫の言う「食国」には、僕たちの無意識の沼に沈んだ「第三のレイヤー」があるのではないか?個体としての動物(第一のレイヤー)、個人としての人間(第二のレイヤー)という「個」のレイヤーの下に、曖昧でほの暗い沼が広がっている。この世界では、明確な輪郭を持った「個」の境界が溶け、超自然の神や怪物、異なる時代を生きる祖先や死者たちが溶けた境界に入り込んでくる。視点を複眼にして考えてみよう。主体を持つ「個」の視点から見れば「食べることは生きること」のスローガン通り、何かを食べることは生きるための材料を取り込んで社会的なつながりを確認するための「喜ばしい行為」である。しかし視点を裏返すと、取り込まれる側は領域を侵犯するハッカーとも言える。「食べること」は、異物を自分の領域内に招き入れる恐ろしい行為でもある。
 食べることで自分たちのアイデンティティーを維持する、これが第一・第二レイヤーの「個」から見た世界観である。しかし第三のレイヤーでは世界が裏返り、食べもの自体がすすんで食べ「させる」ことで、領域外から個の存在に影響を与える。

 「食国」は裏返った世界である。
 食べることは「自発的に食べる」ことではなく、個人が意識しない沼のなかで「食べさせられる」ことによって、知らず知らずのうちに自分の存在を規定していく。暴力で抑えつけるのではなく、イデオロギーで啓蒙するのでもなく、食べることを通して個の集まりのなかに秩序をつくりだす。食は第三の統治法だ。
 大伴旅人は、奈良の都から太宰府に飛ばされて、空間的には隔たれたとしても「食べること」を共有することで共同体(倭)のメンバーとしてのアイデンティティを保っていた。物理的距離の遠さよりも、食の近さが優先される。ヨーロッパやアメリカに引っ越しても味噌汁や納豆を食べる習慣を続け、炊きたてのお米の香りに郷愁を感じてしまう日本人の原点は、万葉集にある。

(新著『オッス!食国(おすくに)』より)

 

 

 

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