発酵デパートメントオーナー小倉ヒラクが、各地の旅で出会った発酵文化や、お店の運営で考えたことをお届けします。長文だったり一言だったり、日記形式で気軽に書いてます。
前回>>#06 新著『オッス!食国(おすくに)』の先行予約お願いします!
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みなさん、発酵してますか?
前回に引き続き僕の新著『オッス!食国』の話。
7/20の発売に向けて、絶賛事前予約キャンペーン中なのですが、予約の前に
「そもそもどんな本なの?」
って気になるじゃないですか。こないだtwitterで先行予約の呼びかけをしてみました。
新著『オッス!食国』の先行立ち読み企画やろうと思うんですが、どのお話がいいですか?
— 小倉ヒラク | Hiraku Ogura (@o_hiraku) July 4, 2023
投票の結果、「塩と醤油」の話を読みたい人が多かったので、本編からほんの一部だけ立ち読みしてもらいたいと思います(ちなみに書籍全体では20万字近くあるYO!)。
特典いっぱいの先行予約の締め切りは、
7/9日曜の23:59までです。なにとぞよろしくおねがいします…!
オッス!食国:塩と醤油の章ちょっと立ち読み
二柱の神、天の浮橋に立して その沼矛を指し下して画きしかば
塩こをろこをろに画き鳴らして引き上げし時に 其の沼矛の末より落る塩
累なり積りて島と成る 是淤能碁呂島ぞ。
男女の神(イザナギ・イザナミ)が混沌とした大地の沼(つまり海)を矛で、
「潮よ凝(かた)まれ、凝(かた)まれ」と唱えながらかき混ぜると、矛の先からしたたり落ちた雫がかたまって島となった。これが地上にできた最初の島、おのころ(自ずから凝まる)島。この島でイザナギ・イザナミは夫婦となり、次々と他の島を生み出し、それが日本列島となった。古事記の有名な「国生み神話」だ。
この「潮をかき混ぜて凝固させる」という行為は、日本の原始的な製塩法を指している。海水を長時間撹拌しながら煮詰めて、海水のなかの3%ほどの塩分(ナトリウム)を結晶化させていく。岩塩や塩湖が存在しなかった日本において、考えられる限りもっともシンプルな製塩方法と言える。曖昧模糊とした潮(海水)を塩として結晶化させる。そのプロセスが、ドロドロとした沼(海)から固く安定した島(陸)をつくりだすプロセスに重ね合わされているところが実に面白い。
最初の人がアシカビのモヤモヤから生まれたエピソードに引き続き、日本では最初の土地は潮のドロドロから生まれた。モヤモヤ・ドロドロの混沌から輪郭を持ったユニットが姿をあらわしてくる。そしてそのユニットがまた他のユニットを生み、増殖していく……。これは原始の海のなかから、細胞という輪郭を持った生命が誕生するプロセスのメタファーだ。
地の神に先立ってあらわれた天上神(アマテラス)が送る光のエネルギーを光合成することで、液体のなかからモヤモヤした藻が姿をあらわしてくる。そしてその藻が水辺にあがってアシのような湿地植物になり、その水辺から動物が姿をあらわしてくる(そして僕たち人間は、水辺の動物の末裔だ)。たっぷりと酸素があり、自由に動き回って植物や他の動物を捕食することができる陸上で動物は豊かな生を謳歌したが、足りないものがあった。
それが塩である。
なぜ塩はおいしいのか?
人間は塩が好きだ。塩をかけると何でも美味しくなる。スイカに塩をふりかけると、甘さが際立つ。塩は素材の味を引き出し、食材を「料理」に引き上げる魔法の結晶だ。
ではなぜ人間は塩を「おいしい!」と感じるのだろうか。そこには生物学的なメカニズムが働いている。人間はじめ動物全般は、筋肉を使って運動する。この時、神経系と筋肉を協調させる潤滑油として塩分(ナトリウム)が必要になる。脳が「動くぞ!」と神経系に指令を出すと、筋肉の細胞にナトリウムが集まり、筋肉に緊張状態が生まれる。弛緩と緊張を切り替えることで、筋肉の伸縮が起こり、運動ができるということなのだ。
もうひとつ。塩は体内(もっといえば細胞内)の液体量を調整する機能もある。細胞の内外でナトリウムを使ってイオン濃度の勾配をつくりだすことによって、細胞内に体液をつなぎとめている。例えば人間はじめ哺乳類の体は、一定のナトリウム量(液体中の約0.9%)が基準となって体液をキープしている。何かを食べてナトリウム量が基準値より増えると汗やおしっこで排出する。
海で溺れた人が脱水症状になるのは、過剰なナトリウムを排出するために体の水分がなくなってしまうからだ。反対にナトリウムが減りすぎても問題だ。暑い夏にスポーツして汗をかくと、体内から水分とナトリウムがどんどん抜けていく。その時に喉の渇きを潤そうと水分「だけ」摂ると、ナトリウム濃度が低下して神経と筋肉の連携がうまくいかなくなり、頭がボーッとして体が強ばる。こういう時に効くのが経口補水液だ。ふだん飲んでもまったく美味しくないのだが、ナトリウム不足になった時はこの世のものとは思えないほど美味しい。
このように、動物である人間が生きていくためには塩(ナトリウム)が欠かせない。このメカニズムは、そもそも動物が海で生まれたことが関係しているのだろう。海中に豊富に存在している(約2.7%)ナトリウムを媒介として「運動」という機能をゲットした動物は、海のない地上にあがった後も、ナトリウムを摂取しないといけない運命となった。いっぽう、動物に先立って陸にあがった藻の末裔=植物は、運動しないので塩を必要としない。なんなら塩の作用で細胞から水分が抜けて萎れてしまう(農業における塩害の原理だ)。
同じ生物でも動物と植物では、陸上での生存条件がまったく変わってしまったのだ。
塩(ナトリウム)がないと生きていけない動物。一番手軽なナトリウムの摂取方法は、他の動物を食べることだ。だってほら、動物の体液にはナトリウムが含まれているからね。獲物から滴る血は、経口補水液のようなものなのだ。いっぽう、他の動物を食べない草食動物はどうしているのか。塩分のある岩や土などをペロペロ舐めることでナトリウムを摂取している。変わった例としては、ヒマラヤに住むターキンという野生のウシは、夏になると標高4000mの高地を目指して移動し、塩水の湧き出る沼の水をペロペロ舐めて暮らす。やがて気温が下がる秋になるとまた標高の低い土地に戻って冬を越す、というサイクルで生きている。草食動物にとっていかに塩分を摂るかは死活問題だった。それでは動物も植物も食べる雑食動物たる我ら人間はどうであろうか?
「住んでいる場所の特性によって摂取方法が変わる」というのがその答えだ。肉食に近ければ塩の切実さは薄まり、草食に近づけば塩の切実さが高まる。比較的草食に近い日本人にとって「いかに外部からナトリウムを摂るか」は、つまり「いかに生きのびるか」ということとイコールだ。こうして塩は日本の食文化における大きなテーマになったのだ。
製塩の誕生とその限界
人間は古来からどのような塩の文化を育ててきたのだろうか。草食カルチャーの日本の事情が気になるところだが、まずは日本と真逆の肉食カルチャーである中央~西アジアを見てみよう。「たばこと塩の博物館」というJ T(かつての日本専売公社)の運営するミュージアムがある。ここで遊牧民の「塩袋」という興味深い文化の展示を見ることができる。このエリアの遊牧民は、ユーラシア大陸東西の塩の貿易を担っていた「塩の民族」である。
「動物の肉食べてるのに、なんでそんなに塩が必要なの?」
と不思議に思うかもしれないが、よく考えてほしい。遊牧民は牛や馬など、草食動物たちと暮らしている。塩は人間のためというより、家畜のために必要なものだったのだ。遊牧民は大量の家畜とともに移動して暮らしているので、家畜を柵で囲ったり、一頭一頭をヒモでつないだりはできない。そこで塩で家畜をコントロールするのだ。放牧番が塩袋を持って家畜を先導する。たまに家畜に袋から塩をやるのだが、袋の口がすぼまっているので、一度で満足するほど塩を摂ることができない。そこで仕方なく人間に付き従わなければいけない、というよくできた仕組みだ。アジアの山岳地帯には岩塩が豊富にあるので、これを家畜をけるように活用していたのが、後に塩の貿易に発展し、中世アジアの交易文化に影響を及ぼしていった。
それでは次に島国日本を見ていこう。まず日本では岩塩がほとんど採れなかった。そして家畜の肉を食べる習慣も根付かなかった。しかし細長くて海に囲まれていたので、当然海を利用して塩を摂取することになる。原始的な製塩方法は国生み神話同様の「海水釜茹でメソッド」だが、これはあまりにも効率が悪いので、組織だった最初の製塩法は藻を使っていたようだ。まず海水を煮詰めて、濃縮された塩水をつくる。そこに主にホンダワラなどの藻を浸す→乾燥の工程を繰り返し、塩が濃縮された藻を焼いて灰にする。灰を塩水に戻したのちに濾過すると、さらに高濃度の塩水ができる。それを壺や甕で煮詰めると塩の結晶ができあがる。
来ぬ人を まつほの浦の 夕なぎに
焼くや 藻塩の 身もこがれつつ
藤原定家が詠んだ句にも出てくるこの「藻塩」。なかなか手間のかかる方法だが、海藻のうま味が詰まって風味もよかったのだろう。恋に焦がれる人の心を、夕方の浜辺で焼かれる藻に重ねるあたり、さすがの巧みさ。何度も何度も乾燥を繰り返す工程も恋のじれったさをあらわすようでなかなか粋ではありませんか。
なお現在でも塩づくりの神饌の儀式が伊勢神宮内の御塩殿神社で行われている(伊勢神宮、いかに食べ物を何でもかんでもつくっていることよ…)。
古代の塩の釜茹でを、神職たちが海辺で行うのである。国生み神話の風景を再現するようなこの塩づくりの儀式は、なぜ神饌にとって塩が重要なのかを教えてくれる。日本の神さまは基本的にお米や豆中心の草食スタイルなので、ナトリウムが必要なんだよね。ちなみに伊勢神宮お手製の塩、ほんのりピンクがかった、宝石のようにキラキラ輝くありがたい結晶だ。
製塩法が確立する縄文以前の時代はどうなっていたのか。土器で海水を煮る原始的な製塩も行われていたようだが、刮目すべきは貝塚。実は貝類は、魚や哺乳類よりも体内のナトリウム濃度が格段に高いのだ。これは効率よく塩を摂取するための知恵なのだね。
海水釜茹でメソッドも藻塩も、大量の火力を必要とする。そこで次に出てくるのが太陽の熱と砂を利用する塩田方式だ。海近くの砂地に海水を運んで撒き、砂に天日で乾燥した高濃度の塩を蓄積させる。砂地と人手を用意すれば大量の塩がつくれるため、産業として各地に普及した。このメソッドが開発されて、ようやく塩が一般的な食材として流通するようになる。民俗学者の宮本常一が描いた「塩の道」は、海辺でつくられた塩が山里に運ばれていく交易路だ。魚介類を口にできない山間地の人々は、独立した食材としての塩がないと生きていけなかった。こうして日本の海と山は、塩によってつながれた。
ところがここで、中央~西アジアではありえない事態が起こる。海由来の塩は、にがり成分を含むゆえに空気中の水分を吸ってしまう性質があり、日本では塩が長距離を運搬するあいだに湿気てしまう問題が生じたのだ。乾燥した大陸とは違う、ウェットな島国に適した塩の運搬方法が必要とされた。
このウェットな島国特有の事情で発達してきたのが、醤油である。
先行予約してくれた方には、特典あるよ!
今回は企画をご一緒しているVALUE BOOKSさんのご厚意により、単なる事前予約にとどまらない、発酵食品が付いてくるという狂気すら感じるキャンペーンとなっております。
■味噌や納豆がついてくる
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■書店発売よりはやく読める
書店の発売日が7/20以降、先行予約は7/15前後に発送するので数日はやく読めます。
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