事前予約販売は終了しました。現在オンラインストアでも通常販売中です。
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こんにちは、小倉ヒラクです。皆さまにお知らせがあります。このたび新著『アジア発酵紀行』が出版されることになりました!この本は僕にとっての新機軸。
■海外の発酵文化を扱ったもの
■本格的なノンフィクション作品
2つの新しいチャレンジを経て、これまでとはかなりテーマと雰囲気と違う作品になりました。
表紙もご覧の通りかなりエッジー。アジアのカオスな民族文化を発酵の視点で旅する『アジア発酵紀行』、恒例の事前予約注文祭りを、今回は青山ブックセンターと一緒にやります!
僕の新たな代表作とすべく、ぜひ事前予約をして応援してください。
発酵はアナーキーだ!雲南省からインドの最果てへ
今回の本はどんな内容なのか?簡単に説明します。
中国雲南省の熱帯エリアからヒマラヤ、そしてインドの東の最果てへ。
日本の発酵文化(とりわけ麹)の起源を求めてアジア辺境を旅するノンフィクション作品です。
標高0メートルの熱帯から5000m超の高地へ。
雲南省シーサンパンナのジャングルでの、超ローカル茶会。
ネパールでブッダの末裔たちに精進発酵カルチャーを習い、
最後は内戦中のインドの東の最果て、マニプル州へ。
リス族、ハニ族、ナシ族、リンブ―族、メイテイ族…
三国志の世界の向こう側。ヒマラヤの麓に、様々な少数民族の織りなすアナーキー発酵文化が集積する『アジア発酵街道』があった。
そこにはいまだ見たことのないびっくり仰天の発酵食品や、日本では失われてしまった古代の麹カルチャーが数百年のあいだ、森のなかでひっそりと継承されてきた…。
原始仏教、イスラム教、ヒンズー教、そして謎のローカル信仰サナマヒ教。
食も信仰も民族もカオスに入り交じる、アジア発酵街道の旅にいざ出発!
限定500冊!青山ブックセンターで先行販売を開催!
精神的にも物理的にも死にそうになりながら(戦争に巻き込まれたりして)書いた新著。今回は青山ブックセンターの山下店長とタッグを組んで、500冊のタワーを崩していく祭りを開催します!
新著の発売日は11月14日なのですが、それより10日はやい11月4日から青山ブックセンター限定で本をゲットすることができます。さらに青山ブックセンターで予約すると特典が2つ。
■ヒラクお手製アジア発酵旅の歩きかた
旅すると面白いエリアや食べたほうがいいローカルフードなどをまとめた旅のガイドをプレゼント!
■僕のイラスト付きサイン
の2つがついてきます。
青山ブックセンター先行販売予約ぶんは限定先着500冊です(印刷所の都合上それ以上は無理!)。
さらに!11/4の午後と11/5日中は僕が青山ブックセンター店頭に常駐してサイン書きます。
この時に本を受け取りにきてくれたら、サインにあなたのお名前も入れます(あとちょっとしたおみやげも用意しときます)。
今回は青山ブックセンター全面バックアップのもと、お店の入り口付近に500冊のタワーをつくります。それをどんどん減らしていって、最後は空っぽ!を目指します。
普段は各地の本屋さんにまんべんなく卸していくのが本の流通の基本なのですが、今回は僕のたってのおねがいで出版社にワガママを聞いてもらいました(文藝春秋の皆さま多謝!)。
版元はメジャーになりましたが、やはり初志貫徹。
こだわりの品揃えを貫く本屋さんに、まず僕の本を置いてもらえたら嬉しい!です!!!
予約方法:サイトで注文、受取りは店頭 or 配送!
↑こんな感じのイラスト付きサイン入れます↑
青山ブックセンターのサイトから予約をお願いします。
500冊限定。〆切は11/2まで。
店頭に受け取りにきてもらえた場合は当然送料ナシ。東京はちょっと遠くて…という人は配送でお受け取りください(送料最低限かかっちゃうけど特典つけます)。
受け取り開始は11/4の午後4時から。僕は11/4の午後4時から閉店まで、11/5は午前11時から夕方6時くらいまで青山ブックセンターの店頭でサイン描き続ける予定です。ご予定空いている方はぜひ店頭に遊びに来てください。僕の以外にも面白い本いっぱいあるよ。
トラベルブックフェアをやります!
↑青山ブックセンターでは過去に色んな企画をご一緒しました↑
なぜこれだけ店頭受け取りを推しているかというとだな。
この日にあわせて僕と山下店長で「いま読むべきトラベルブック」を選書したフェアをやろうと思います。古典から2020年代の名作まで、読むだけで世界を旅できるディープなトラベルブックを揃えます。ぜひその売場も見に来てもらえたら嬉しいです。
それではぜひ!あなたも!!『アジア発酵紀行』の事前予約注文祭りにご参加ください。
青山ブックセンターの店頭を盛り上げましょう!!
最後にちょっと試し読み:こんな雰囲気です
最後にちら見せ。本の目次とプロローグを公開します。
旅の続きは、ぜひ本編で…!
まえがき
発酵はアナーキーだ。
微生物という目に見えない自然がつくり出す、人間の予想もつかない働き。酵母は光合成も酸素の呼吸も必要とせずに、人を酔わせるアルコールやかぐわしい香りを生み出す。栄養が豊富にあれば一日で数億倍以上に増殖する。人間の常識の通用しない小さくて強力なアナーキストである。
発酵はサバイバルの知恵でもある。微生物の働きを利用して、人類は長い歴史を生き延びてきた。とりわけ外界から隔絶された過酷な環境ほど、発酵のもたらす物質の保存作用や化学変化のコントロールが生存のキーポイントになってきた。 隔離された環境で培われたサバイバル技術が、数百年の時間軸で蓄積することで、現代文明の価値観を覆くつがえすアナーキーな域に昇華する。僕はそこに人類の文化のしたたかさを見る。
僕がバックパックをかついで旅を始めたのは、18歳の頃。退屈を持て余して巡ったアジアの国々は、僕の待ち望んでいた、度を超えた極端さを教えてくれた。
食でいえば、人生初のバックパッカー旅で食べたタイの料理。本格的なスパイス料理に触れる機会のなかった日本人には涙が出るほどの辛さのグリーンカレー、酸っぱさのトムヤムクン。おっかなびっくり食べた、台湾の屋台街で50m先から臭う、鼻が麻痺するほどの臭豆腐の匂い。ベトナムでできた友人の家で囲んだ、ハーブやフルーツをあしらった目がチカチカするほどカラフルな食卓。
大学の先輩から教わったビールやカクテルにようやく慣れた頃に、デザイン会社のバイトで上海にしばらく滞在したことがあった。その日の仕事が終わると、現地の会社の人が飲み会に誘ってくれる。そこで始まるのが、白パイ酒チユウという中国焼酎のエンドレス飲み比べ。アルコール度数50度を超える酒を杯になみなみ注いで「カンペイ!」の掛け声とともに一息で飲み干す。日本から渡ったチームは下戸ばかりだったので、僕がチームを代表して飲み比べに臨み、飲み干すほどに喉が焼け付くような強烈なアルコールの妙味をこれでもか!と味わうことになった。何度か乾杯を繰り返し、中国側の酒飲みががっくり崩れ落ちると拍手が上がる。ビジネスの接待の場では、飲み比べに勝利したほうが有利な条件で仕事を進められる習わしだと聞く。そうか、中国では酒に強いこともビジネスマンの条件なのか、とホテルに帰ってビールを飲み直しながら妙に感心した覚えがある。
食でも仕事でも人間関係でも、日本は「ほどほど」の心地よさを大事にする。適度に品よく、後を引かず、あっさりと。しかし大陸アジアでは、裸のままの感覚が真正面からぶつかってくる。しかも場の文脈を無視して、当て逃げのように。文脈を共有できないままぶつかり合う価値観のなかで生きるアナーキーなたくましさ。アジアの旅で僕が魅了されたのは「ほどほど」の枠の外で生きる痛快さだ。
僕の人生の分岐点にはいつもアジアがある。
教室の空気になじめなかった高校時代、一番の仲良しだったのは中国の男の子だった。彼の家は文化大革命の混乱のさなかで日本に渡ってきた。お父さんは焼き鳥に使う竹串を製造する会社を経営していた。当時の僕の幼稚な経営者像といえば、自動車やコンピューター、有名ブランドのアパレルや食品の会社をやっているきらびやかな実業家。えっ、竹串? と思ったが、よく考えてみれば日本中の焼き鳥屋さんが毎日使うであろう竹串の膨大さを想像してみるに、それが立派なビジネスであることがわかる。
誰もが見向きもしないものに、価値を見出す。みんなが知っているカッコよさのなかで一番を競うゲームから降りて、ニッチを極めることでどんな環境でも生き延びるしたたかさ。
僕もいつか、自分なりの竹串を見つけたい―中国のお父さんの生き様から学んだ「サバイバル竹串理論」が、僕の未来を生きる拠りどころになってきた。
大学を卒業すると、僕は気ままに旅することをいったんやめて、東京でデザイナーとして生計を立てることになった。自分で仕事をつくっていく面白さもあったし、東京らしい華やかさもあった。しかしそれはみんなが目指すカッコよさのゲームであり、竹串ではなかった。毎日遅くまで働いて、深夜まで業界の集まりで飲み歩いて……という日々を繰り返すうちに生来弱かった身体を壊し、喘ぜん息そくやアトピーがぶり返して寝込むようになってしまった。
そんな折に、偶然会社の同僚だった味噌蔵の娘の導きで、僕は発酵の道に足を踏み入れることになった。無頓着だった食生活を改めて、味噌汁や漬物を食べる習慣をつけたら崩れた体調が整っていった。そこから発酵に興味を持ち、自分でも味噌や麹を仕込んだり、同僚の味噌蔵を訪ねるうちに微生物と人間の交わる世界の面白さにのめり込んでいった。
今のように発酵が社会のトレンドになるずっと前のことだ。それは「みんなのカッコよさ」ではなかったが、東京の都市生活の価値観に一石を投じるような、奥を覗いてみたくなるようなかぐわしい匂いがあった。
これだ。これこそが僕の竹串だ! そう直感して、僕はデザイナーの仕事をドロップアウトし、東京農業大学の研究生として醸造と微生物学を学び始めた。そして発酵の世界に入るきっかけをつくってくれた味噌蔵のある山梨に引っ越して、微生物の世界で生きることを決めた。
東京のデザイン業界の仲間たちにそのことを告げると、みんな一様に不可解な顔をした。同世代ではけっこういい線いっていたのに、食っていけるのか? そう言われても僕には不安はなかった。その不可解な顔こそが「僕の竹串」である証なのだから。
発酵に関わる仕事をすると決めてから、東京農大の先生たちの調査を手伝って地方に行くことが多くなった。最初は醤油や味噌、日本酒などスタンダードな醸造蔵を訪れていたが、大学での勉強が終わって自分で仕事をするようになってからは、大学の研究予算がつかないような地方の知られざるローカル発酵食の現場を巡るようになった。20代前半のバックパッカー旅の要領で辺境へ辺境へと行くうち、人口数百人の離島や人里離れた山村に、奇想天外な発酵文化がひっそりと継承されていることを知った。現地で手作りしている人にその成り立ちを聞いてみたところ、海の外のアジアの国々とのつながりが出てくることに驚くことがたびたびあった。山の中の発酵茶が、東南アジアの茶の起源を。島の織物が、ミクロネシアの染色技術の起源を宿している。
現代生活から隔絶された日本の辺境で、かつて僕を魅了したアジアのアナーキーさに再び出会ったのだ。僻地で生まれたサバイバルの知恵が、その土地ならではの価値の多様性を生み出していく。そしてそれははるか海の向こうの文化とつながっている―。
ある日、奄美の島海を眺めている時、僕はアジアの発酵を巡る旅に出ることを決めた。日本の発酵食のルーツと、自分の内に流れるアナーキーさの源流をつきとめるために。